江戸期に刊行された道歌集のうち、堀原甫の編になる『念仏道歌西之台』(天保一二年〈一八四一〉刊・めとぎ屋幸助版)と題される一本が存在する。この書は仏教信仰のうち、浄土教信仰の理念に基づいた一二〇首(凡例中の五首を含む)の道歌を収録する重要な道歌集である。 筆者は江戸期の道歌集に注目し、これまで『一休和尚いろはうた』『道歌心の策』『道歌百人一首麓枝折』について考察を加えた。本稿では大阪教育大学小野研究室蔵『念仏道歌西之台』を翻刻紹介し、その意義を明らかにしていきたい。This report introduces “Nenbutsudouka Nishinoutena (念仏道歌西の台)”. “Nenbutsudouka Nishinoutena” is a book which records instructive songs for the common people. Instructive songs were called “Douka” in Japanese. There are a lot of unknown materials about instructive songs. “Nenbutsudouka Nishinoutena” is one of this. This report is the basic research of “Nenbutsudouka Nishinoutena”
小学校三年生の国語科教材として採録されている、あまんきみこの「おにたのぼうし」は、おにたという黒鬼の子どもと人間の女の子の交流を通して、他者を理解することの困難を主題化した作品として評価されている。本...
杜甫五律的"胜场"固然表现为包蕴众体、气象恢宏、错综变化。但就五律这一体式而言,其"独造"主要体现在取景造境内涵的极大拓展,以及对"物色生态"...
『枕草子』第九十八段「中納言まゐりたまひて」段は、有名な「海月の骨」の秀句の段であるが、従来この秀句は、隆家の「見たことないほどすばらしい扇の骨だ」との発言に対し、「見たことないなら海月の骨ですね」と...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
江戸時代に一休の名を冠した一連の道歌集が創作、出版された。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌で、狂歌に近い性格を持っている。そのため書名には「狂歌」と銘打つものも多い。筆者は一休に仮託され...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
鴨長明『方丈記』の「五大災厄」の部分は、当時起きた災害の事実を基に記しているとされるが、中には「虚構」とされる部分もある。確かに、「養和の飢鯉」について見るに、養和二年の二ヶ月間に供養された遺棄遺体数...
百人一首の歌仙絵は類型的だと見られているが、近世初前期においては混沌としていた。その証拠として新出の『百人一首手鑑』(近世初前期成立) を例示したい。本書の最大の特徴は、四人の院が僧体で描かれているこ...
短歌形式の文学のひとつに道歌と呼ばれるものがある。道歌は宗教的または道徳的な教訓を詠み込んだ短歌形式の歌であるが、和歌というよりむしろ狂歌に近い性格を持つ場合が多い。中でも禅僧が創作した『いろはうた(...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
江戸時代末期から明治時代にかけて数々のことば遊びが大坂(阪)を起点として発信された。その多くは心斎橋の書肆兼草紙屋であった塩屋喜兵衛によって瓦版として出版されたものであった。詳細は小著『ことば遊びの世...
本稿で取り上げる『逆修説法』は法然が逆修法会において行った講説の聞書である。そこで説かれる「孝養父母」の講説は『観経釈』や『選択集』より詳しくなっている。この事について、中原親子の関係を踏まえる法然の...
藤原茂範所著《唐鏡》是在日本首度以日文寫成的中國通史。其內容雖多擷取自中國正史,然仍有諸多記載因出處不詳而有待商榷。本篇論文將由此點出發,針對其中佛典的相關記載做進一步探討。《唐鏡》中佛教史的記載...
短歌形式の文学のひとつに道歌(どうか)と呼ばれるものがある。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌であるが、むしろ狂歌に近い性格を持つ場合も多いと言える。筆者は道歌に関心を持ち、既に『道歌心(...
小学校三年生の国語科教材として採録されている、あまんきみこの「おにたのぼうし」は、おにたという黒鬼の子どもと人間の女の子の交流を通して、他者を理解することの困難を主題化した作品として評価されている。本...
杜甫五律的"胜场"固然表现为包蕴众体、气象恢宏、错综变化。但就五律这一体式而言,其"独造"主要体现在取景造境内涵的极大拓展,以及对"物色生态"...
『枕草子』第九十八段「中納言まゐりたまひて」段は、有名な「海月の骨」の秀句の段であるが、従来この秀句は、隆家の「見たことないほどすばらしい扇の骨だ」との発言に対し、「見たことないなら海月の骨ですね」と...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
江戸時代に一休の名を冠した一連の道歌集が創作、出版された。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌で、狂歌に近い性格を持っている。そのため書名には「狂歌」と銘打つものも多い。筆者は一休に仮託され...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
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江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
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本稿で取り上げる『逆修説法』は法然が逆修法会において行った講説の聞書である。そこで説かれる「孝養父母」の講説は『観経釈』や『選択集』より詳しくなっている。この事について、中原親子の関係を踏まえる法然の...
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短歌形式の文学のひとつに道歌(どうか)と呼ばれるものがある。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌であるが、むしろ狂歌に近い性格を持つ場合も多いと言える。筆者は道歌に関心を持ち、既に『道歌心(...
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杜甫五律的"胜场"固然表现为包蕴众体、气象恢宏、错综变化。但就五律这一体式而言,其"独造"主要体现在取景造境内涵的极大拓展,以及对"物色生态"...
『枕草子』第九十八段「中納言まゐりたまひて」段は、有名な「海月の骨」の秀句の段であるが、従来この秀句は、隆家の「見たことないほどすばらしい扇の骨だ」との発言に対し、「見たことないなら海月の骨ですね」と...